オーストラリア・ニューサウスウエールズ州(以下NSW州)においては2009年からLenovo社のLaptopPC(以下,PC)を全公立学校の9年生(日本での中学3年相当)全員に貸与(実際には返却の義務はない)している。このことは今年3月にLenovo USAを訪問した際に得た情報であり,非常に興味深いものであったため今回のオーストラリア視察を行った。
今回の視察は2011年8月31日〜9月6日の日程で実施し,シドニーの公立学校2校,Lenovo Australiaを訪問した。ここでは,これらの学校訪問,企業訪問に加えて州政府の職員,高校生を持つ親,民間団体の職員へのインタビューを通して得た内容を述べる。
州政府は2009年度より全公立学校の9年生にPC(Lenovo社製ThinkPad)を貸与し,授業などで積極的に活用するように,さまざまな教育環境を整備している。これはオーストラリア連邦政府が進めているDigital Education Revolutionというプロジェクトのファンドを活用したものである。
・ハードウエア環境について
Lenovo社によると,現在は学校用3世代目の機種を配布し,4世代目を試作中とのことであった。また,学校に配布する機種の一番の鍵となる考え方は,まず堅牢性であるという。これは日常の学校生活で生徒の使用に十分耐えられる装備でなくてはならない。実際に訪問した学校では生徒がボールでPC画面を壊すことなどがあるという。そこでLenovo社では,画面強度,画面と本体の接合部分,入出力端子などさらに改良を加えて堅牢性を確保したいとのことであった。次はセキュリティすなわちPC本体への安全性に対する配慮である。生徒による違法改造や盗難などへの対策にも,さまざまな工夫の手立てが施されていた。例えばPC背面のビスは特殊なもので,市販のドライバーでは開けられないようになっている。このようにLenovo社では,一般消費者向けのマシンと異なり,学校現場の要求に応えられるようなマシンづくりに細心の注意を払っていた。このことは非常に参考になった。そして学校現場において使用するPCは,Laptop型にせよTablet型にせよ市場に流通しているものでは全く通用しないものであることを改めて痛感した。
・ソフトウエア環境について
すべてのPCにはマイクロソフト社のオフィス系ソフトとAdobe社の画像処理系ソフトウエアなどが標準インストールされている。あとは,インターネットへの接続は共通フィルタリングされているようである。
これらのPCは卒業後,返却の義務はなく,一般の標準仕様に変更してくれるとのことであった。
訪問した学校では国語のリーディング,物理の実験データ処理,社会科での調べ学習の授業などを参観した。基本的には,PCの活用は教科の枠を越えて必要なときに効果的に活用する授業形態をとっており,取り立ててコンピュータリテラシーの授業は行わず,必要な場面においてソフトウエアなどの使用法を教えるようになっている。特に,小学校においてはインタラクティブボードが2年前から全校に導入され,小学校3年あたりからパワーポイント授業があったり,プレゼンテーション,恊働授業などさかんに行われているとのことであった。
2校の訪問での率直な感想を述べると,PCを活用して効果的に授業が展開されているとは言い難かった。生徒はPCを単にノートと鉛筆の代用として扱い,教員はインタラクティブボードをスクリーンとしてしか活用していないなどまだまだ工夫の余地がたくさんあるように感じた。確かにすべての授業において効果的な授業を展開し続けることは困難であるが,このあたりも日本と同じように「まずは機器導入ありき」の感が強かった。そのため教員研修の重要性をさまざまな立場の方々が指摘していた。実際には中核となる教員が州政府の研修を受講し,一般教員はその中核教員から各学校にて研修を受けるというシステムになっている。そして使用する教科書は前述したように検定教科書はなく,各学校が市販されている標準的な教科書を使用するのである。教材や評価に関する資料などについては州政府のwebに用意されている。
ニシムラ‐パーク葉子氏からは期間中、州政府の取り組みなどかなり詳細にインタビューすることができた。特にPCの配布が始まった2009年から州教育省ではさまざまなwebコンテンツを開発してきたとのことであった。
次は,PC用教材のリンク例である。どの教科のものも,その教科の単元のトピックを使いつつ,PCに入っているソフトウエアを使わせるようにデザインされているとのことであった。
・NSW教育省シラバス
・数学教材
・デジタルリテラシー教材
・TALE
以上述べてきたように,オーストラリアの教育システムと日本の教育システムは大きく異なっている。学年制,大学進学率などいろいろな違いがあるが,大きな違いの一つは政府の関与であり、州政府の意向が連邦政府よりも強いことである。すなわち,わが国のように国定の学習指導要領も教科書検定もなく,六つの州の政府が標準的なカリキュラムやシラバスを作成している程度である。
ただ,これについて連邦政府はイギリスがかつてサッチャー政権時代に実施したようなナショナルカリキュラム構想を持っているようで,州政府独自の教育展開から全国統一へと大きく舵を切ろうとしているようであった。もう一つは多民族国家・多文化国家としての教育の在り方の模索である。Sydney Secondary Collegeではおよそ80%が非英語圏の生徒であったように,さまざまな文化・言語背景をもった子ども達への教育の取り組みはわが国とは非常に異なるものであることを実感した。
教育視察の難しいところは単に,現在の取り組みの比較だけでなく,その国のもつ歴史,伝統そして現在の政治経済状態などさまざまな背景を考慮しなくてはならいない点である。特にICT教育の取り組みについてはさまざまな文脈から見て行かないと全く見当違いになってしまう。オーストラリアは現在,経済状態もよくPISAでも国際的に上位である。しかし,アジアの一員としての国家像を前面に出し,多文化社会のなか国内的にも国際的にも多くの問題を抱えている。訪問した学校の校長が,教育方針の中核はリテラシーとニューメラシーであり,それにはICTが不可欠であると言ったことが非常に印象的であった。つまり,共通言語としての英語教育と数的教育をまさにコンピュータを活用しながら進めていくということの重要性を日々実感しているとのことなのだろう。
そしてわが国のICT教育の今後の在り方を考える上においても今回の視察は非常に意義の深いものになった。